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自然、偉大なグル

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先日のインド哲学のクラスでパンダ先生に聞かれた質問。

「はるさん、あなたは自然の中に行き、そこで何を集めているか?」

少し遅れてクラスに入って、すぐに問われた質問だったため、
文脈を理解せずに回答した。

私は最初「自然界のプラーナをたくさん得ている」と答えた。

そして、「太陽や風、水、土、そして空間という5大元素に宿る神々の存在を感じ、
それへの感謝の心を得ている」と答えた。

でも先生の質問の意図を理解し、あとからもう少し深く感じてみたら、
そうだ、と思うことがあったんだ。

先生いわく、自然界には静寂がある。
その静寂のうちに教えがある。

それはまさに沈黙の中で教えるシヴァ神のあり方と同じである、とのこと。

そうなんだ。

田畑で土や植物と対話するとき、
そこにはヴァーヴァルコミュニケーションはない。

静寂の中で、言語を超えたところ、まさに五感で対話してる。

その対話によって、私の思考はとてもシンプルになっていくんだ。
シンプルってつまり、余分なものがはがれていく感覚。

余計な欲望が消えていく。
あぁ、何をこだわっていたんだろう、と心の鎧がポトっと落ちてく。
離欲、ヴァイラーギャを体験できる。

そして、今の自分に満足がいくようになる。
これでいい、このままでいいんだ、と自分を容認するスペースが生まれる。
サントーシャの心。

そして、混乱してた心の整理がついて、何が私にとって大切なことか、
どこに重きを置いて今の状況に対処すればいいか、なんてこともふっと見えてくる。
これって識別能力、ヴィヴェーカなんじゃないか。

田畑で土と共にいる、心を空っぽにして畑仕事をする、
太陽を浴び、風を感じ、自然の音に耳澄ませ、心静かに作業をしてると、

自然と内側からの気づきが沸いてくる。

都会の便利な暮らしでは気づかない、なくても大丈夫、という感覚。
不便を楽しめるこの感覚。
ないなら作ろう、工夫しよう、というイマジネーションも豊かになる。

私は前から「動く瞑想」が大好きだけど、
料理についで畑仕事、自然の中での暮らしは完全なる瞑想となる。

あとね、直径1、2ミリの小さな種を、ほぼ同量、等間隔に蒔いていく、
なんて作業は、それはそれは意識的でないとできないこと。

呼吸のリズムを感じながら、そぉっと種を蒔き、薄く土をかぶせる。
静かな時間だ。

パンダ先生は「人は自然の中にいるとき、意識と知識が共に在る」という。

先生のおっしゃる意味はより奥深いものだろうけど、
今の時点で、私の理解はこんな感じ。

「自然」は私に、サイレントティーチング、沈黙の中で多くを教えてくれる、
最高のグルなんだろうと思う。

それはただ、私の内なる智慧にアクセスする場を静かに提供してくれる、
ただそこに在る、という在り方で教えてくれるんだ。

Om Shanti.

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思考と行為①

私たちの日々の行為は、何から生まれているか?
そう問われて、すぐに答えるのは本当に難しいね。

哲学の勉強を通して知ったことは、
行為は欲望から生まれる、ということ。
そして、思考は欲望の顕現したものだということ。

つまり、「欲望(カーマ)→思考(ブルッティ)→行為(カルマ)」 
というシークエンスがそこにある、ということ。

そしてこのシークエンスが、サンサーラ(輪廻転生)の原因を作っている。

最終的には、この生と死のサイクルからの解脱を目的とする思考体系の中で、
欲望から生まれた行為(カーンミャカルマ)は、私たちを束縛するふたつの
ロープを作り上げる。

それが、パーパ(罪/不適切)とプンニャ(功徳/適切)。

私たちは、この2つのロープに縛られて、行為の結果を受け取るまで、
何回も何回もサンサーラの中に留まり生まれ変わってこなくてはならない。

ふぅ・・・。

でも私たち人間は、行為するために生まれてきてる。
これはバガヴァットギーターのカルマヨーガの節で説かれていること。

私たちは、一時たりとも行為をせずに存在することはできない。
行為がないと、この肉体を維持することもできなくなる。

「行為は無為より優れている、行為を行え」

とクリシュナはアルジュナにいう。

でも、行為すると、2つのロープが私たちを縛るんじゃないの?
サンサーラに留まり、生まれ変わってしまうんじゃないの?

だからこそ、クリシュナはいう。

欲望のない行為=結果を期待しない行為(ニシュカーマカルマ)を行え、
と教えてくれている。それがカルマヨーガである、と。

行為には2つある。
①欲望から生まれる行為
②欲望のない行為

聖典はそう教えてくれている。

でも、盲信はよくないから、私は最近、それ以外の行為はあるだろうか?
と、頭をひねりつつ探求中。

こうしてblogを書く行為。
私は、私の思いや考えをみんなに知ってもらいたい、と思っている=欲望。

ヨガを伝えるという行為。
私は、ひとりでも多くの人がヨガを通して自分らしくいきてもらいたい、
と思っている=欲望。

コーヒーを飲むという行為。
コーヒーを飲みたいと思っている=欲望・・・

お風呂に入る、という行為。
自分の体をきれいにしたいと思っている=欲望・・・

何もしない、という行為。
何もしたくないと思っている=欲望・・・

うーん、やっぱり聖典がいってることは正しいかもしれない。

じゃ、欲望のない行為ってなんだ?

探求は続く。

Om Shanti.

思考と行為②

インド哲学では、
「行為そのものには意味がなく、大切なのはその背後に流れる思考だ」
と教える。

この教えは、私にとってとてもインパクトのあるもので、
これを知ってから、日々のアクションが大きく変化した。

例えば、電車でおじいちゃんに席を譲る、という行為。
これは間違いなくいい行為だと思う。

ケース①
はる「おじいちゃん、席どうぞ
おじいちゃん「あぁぁ、ありがとう、助かります

はるの思考 ”よかったぁ、おじいちゃん喜んでくれた”

これ、プンニャカルマ(よい行為)をして
プンニャファラ(よい結果)を受け取ったケース。

ケース②
はる「おじいちゃん、席どうぞ
おじいちゃん ムス~としながら当たり前のように席に座る

はるの思考 ”おいおい お礼くらいいいなさいよ、可愛げないわぁ

これ、プンニャカルマ(よい行為)をして
プンニャファラ(よい結果)を受け取れなかったケース。
なので「お礼を言ってもらいたかった」という欲望が残る。
&もれなくイライラつき・・・。

ケース③
はる おじいちゃんに席を譲る。
そして、おじいちゃんのリアクションに関わらず

はるの思考 ”・・・・”

私はただ、私がすべきこと、お年寄りに席を譲る、という行為をしただけ。
おじいちゃんに感謝されようが、されまいが、お構いなし。
私はただ、やるべきことをやっただけ。

これ、欲望のない結果を期待しない行為(ニシュカーマカルマ)をしたケース。

席を譲る、という同じ行為。
でも、その背後に流れる「思考」が違うだけで、
3つのケースは、まったく異質の行為となる。

そしてケース①の場合、
おじいちゃんからもらった感謝を、私のエゴが過剰に喜び、
「私っていい人~♪ みんな私をいいひとって思ったかな~?」

なんてことを思考すると、
そこには「もっと褒められたい、もっとよく思われたい」といった欲望が
生まれていることになるかもね。

さらに、おじいちゃんが、電車に乗り込んできた瞬間に寝たふり
私は、意識的におじいちゃんへのパーパカルマ(悪い行為)を行い、
おじいちゃんは電車に揺られてつらい思いをする。

おじいちゃんに与えた苦痛の結果を、私はどこかで受け取らなくてはならず、
そのパーパファラ(悪い結果)が戻ってくるまで、サンサーラの中に留まる。

行為と結果のつながり。

それは、単にフィジカルな行為そのものを指してるのではなく、
その背景に流れる思考が重要なんだ、という教えは、本当に響いた。

もちろん、いいことをして感謝され、その感謝の気持ちをまた喜んで受け取り、
さらに善行を尽くしていく、それはとてもすばらしい。

でも、インド哲学でいわれる、ニシュカーマカルマの側面から行為を行うと、
私の善行が、相手のリアクションに依存しない、ということを知ったんだ。

つまり、相手がどう受け取ろうがかまわない、というスタンス。

往々にして、してあげたことへの見返りが少ないとき、
私たちってすごく不満をつのらす。

これだけやってあげたのに、あの人は全然返してくれない。

先週、電車の中で女の子が
「彼氏にさぁ、6時間もかけてチョコ作ってあげたのに、お返しが
 キーホルダー1個だよ。ありえなくない?チョー寂しいしムカツク・・・」

なんていってたけど、これなんかまさにそうだよね。

カルマの教えはもっと奥深く、もっと複雑に絡み合っているけど、
まずはこの側面から行為を見直すと、なにより自分の心がらくになる。

私は、私ができることを、誠心誠意行います。

相手が喜んでくれたら、もちろんうれしい。
でも、相手が喜ばなくても、それもまたそれ。

ある人が、お礼も言わないおじいちゃんは良識がない。
「こういうときはお礼をいわなきゃダメよ」っていいたくなる、
って言ってたけど。

もちろん、その思いもわかるよ。

でも、お礼をいわないおじいちゃんには、おじいちゃんなりの事情があるんだよ。
長い年月生きてきて、お礼をいえなくなってしまったプロセスがあるんだよ。
それをそのまま受け止めて。

インド哲学では、人を変えよう、などとはいわない。変わるのは自分だけ。

だから、お礼を言わないおじいちゃんを受け止められる自分になろう、と教える。

思考と行為。

こんなテーマで勉強会を開いてみた。

参加してくれたみんなは、自分の暮らしに照らし合わせて、
たくさんのシェアをしてくれたし、疑問をぶつけてくれた。

それがまた私の理解につながった。

まだまだ深い智慧だし、複雑に絡み合ったカルマの話に終わりはない。
もっともっと勉強を続けていくから、またシェアさせてくださいね。

どうもありがとう。

Om Shanti.

シヴァ神のリーラ

シヴァ神がある村に行ったときのお話。

1,000頭もの牛をもつ牛飼いに、
「少しミルクをわけてくれないか」と願ったところ、
「いや、1滴たりともあげることはできないよ」と断られた。

シヴァ神は「わかった」といい、別の牛飼いのところへ行った。
その牛飼いは、たった1頭の牛をもつ貧しいものだった。

ところが、快くシヴァ神を招きいれ、できうる限りのもてなしをした。

そしてシヴァ神は、1,000頭の牛をもつ牛飼いに、もう1,000頭の牛を
祝福として贈り、自分を丁重にもてなしてくれた貧しい牛飼いの1頭の牛が
死ぬようにと仕向けた。

それを見ていた妻のパールバティは、
「あなた、そのリーラ(戯れ)はいったいなんですか?」

するとシヴァ神は、
あの1,000頭の牛をもつ牛飼いは、その牛に対して強い執着を持っている。
だから、あと1,000頭の牛をもつことで、より強い執着をもつだろう。
そのことで、彼はより苦しむことになるのだ。

しかし、あの貧しい牛飼いを見なさい。
彼は、いますぐにでも、この世から解放される準備が整っている。
でも、あの最後の牛1頭が、それを阻むものとなっている。
だから、最後のその執着を取り除いてあげるんだよ。


この物語を聞いたとき、ティクナットハンのセンターからきた、
シスターの話を思い出した。
牛を放とう!

牛、執着を手放すことの大切さ。
ずしんと響く。

聖者たちのたとえ話は、牛か壷か1枚の布、に限られる、
っていう笑い話がある。

それは、彼らの無執着でシンプルな暮らしには、
水をためる壷と、身にまとうボロ布と、牛ぐらいしかいないから・・・。

いやいや、深い深い。

Om Shanti.

存在の奇跡

宇宙の成り立ちについて学び、
家でカズにシェアすると、

「なるほどなー、それって相対性理論だよね」とのこと。

うんうん、パンダ先生もよくアインシュタインの話はするけど、
私の知性には、その、相対性理論ってやつは微塵も存在してないから、
よくわかんないだよ。

でも、カズは、中学時代から物理が大好き。
あと、星や惑星といった天文学も大好きなので、いっつも、光の速度と
時間や空間の存在について、など、頭をひねっていたらしい。

つまり、かなりのマ・ニ・アだったのね。

ということで、みっちりとカズの「相対性理論講座」を聞き、
なーんとなく輪郭が見えて、なーんとなく、哲学とのつながりを感じて、
ますます、勉強がおもしろくなりそうな予感がする。

つまるところ、私もマ・ニ・アってことなんだろう。

でもね、驚くべきは、1800年代から1900年代にかけての現代・近代科学
や物理の発展が、紀元前1000年ほどに編纂されたヴェーダ聖典に書かれ
ているという事実。

古代のリシ(聖者・賢者)たちは、自然科学からそれらを読み取り、
宇宙や自然の成り立ちについて、定義つけていったんだろうね。

人間とは、なんとも奥深い存在だな、と思うのです。

そして、にわか知識で改めて驚くことは、

この地球の自転公転のスピード。

地球が、グルグルと回転してるスピードは、
赤道のあたりで秒速473m程度。

そして、地球が太陽の周りを公転してるスピードは
時速=10万km/h 秒速=30km/s。

(ちなみに新幹線の「のぞみ」は秒速たった83m・・・)

おそるべし宇宙・・・。
そんな猛スピードで動き続けている状態の地球に、いまこうして平穏に
暮らせている私たちって。

それが、どれほどの奇跡なのか。
どれほど、大きな力に支えられている存在なのか。

ここに生きているということ。
いま、ここに命があるということ。
この一瞬が、どれほど貴重な存在なのか。

そんなふうに思えてならない。

視野を広げれば広げるほど、私たちは謙虚な存在になれる。
何物かに、生かされてる、と思える。

Om Shanti.

内なる虚空(アーカーシャ)

よく、外側の宇宙を「大宇宙」といい、
私たちの内側の宇宙を「小宇宙」といった言い方をします。

そして、その大宇宙と小宇宙は、”同じもの”だと。
同じ元素からなりたち、同じ質感を持っている、と。

昨日の勉強会で、このトピックスを扱ったとき、
なんだか、胸が熱くなって、涙が溢れそうになったので、
うまく表現できるかわからないけど、シェアしてみる。

この宇宙は、五元素から構成されている(成り立っている)。

虚空(アーカーシャ)
風(ヴァーユ)
火(アグニ)
水(ジャラ)
土(プルティヴィ)

そして、私たち自身もまた、この同じ五元素から成り立つ。

では、大宇宙の虚空(アーカーシャ)は、
小宇宙=私たちの中のどの部分に相当するのか?

肉体の内側にある小宇宙の虚空とは?

それは、肉体の大きさに比例するような、
例えば、体の大きな、背の高い、太った人が、大きな小宇宙をもつ、とか、
背の低い、痩せた人が、小さな小宇宙をもつ、とか、
そんな次元の話なのか?

いや、そうではない、とパンダ先生は教えてくれる。

大宇宙を構成する五元素の、虚空以外は、すべて計れるもの。

例えば、地球の面積(土=プルティヴィ)や、海の総容量(水=ジャラ)
(他にも、火の熱量(火=アグニ)大気圏の空気の質量(風=ヴァーユ)と
 いう意味なんだと思う)

これは、計れるもの、measurable。
しかし、虚空=アーカーシャ 宇宙の質量だけは、測れないもの。

私たち自身もそう。
体重や、内臓の質量、体内の水分量などは計れるけれど、
絶対に図れないものがある。

それが、心、ハートだ。

つまり、私たちの中の小宇宙、そのアーカーシャは”ハート”だ。

自分の中に大宇宙を取り込むことは、
この肉体を宇宙のサイズに大きく広げていくことじゃない。

自分の内側に、大宇宙を取り入れることだ。

大いなる宇宙、そのスペースを自分の内側にもつ人は、
心の広い人、ハートの大きな人。

大宇宙の視野で地球を見たら、それはほんの小さな1点のしずくのようなもの。
でも、大宇宙によって内包された大切な一要素。

この宇宙には無数の星があり、無数の生き物がいて、それを内包する空間、
虚空を有する。ありのまま、そのままの状態で存在していいという許し、愛。

小宇宙の虚空を広げて、自分以外の存在、すべての生き物、物質的な存在を、
ありのまま包み込み受け入れるキャパシティをもつ。

私たちのハートが広がり、大きな心で、大きな視野で、起こる出来事を受け
止めれば、それは、大切な一要素であるけれど、取るに足らない小さなもの。

自分の中のスペースを広げること。
小宇宙の空間、虚空を大きくすること。

心を開いて、オープンに、そして大きく大きく拡大していきたい。

心の広い人になりたい。
ハートの大きなひとになりたい。


まだまだ、つたない理解です。
間違いがあるかもしれない。
でも、いまの時点で、私の心を大きく揺さぶったから、
そのままを書いてみました。

勉強会で学んでいることを、ここに残してシェアしたい、という
気持ちがあったんだけど、まだ不安があった。

でも、これからは、少しずつ書いてみようと思う。
分かち合いたい、と思う。

興味があるかたは、読んであげてください。

はる

Om Shanti.

プロフィール

はる

Author:はる
はるです。Sita(シータ)はアシュラムでいただいたスピリチュアルネーム。とても気に入ってます♪

ヨガを通して、ありのままの素の自分に出会える喜びを感じています。
現在、下北沢にあるクリパルジャパン-Yoga of Life-、Yoga Kutir『涼亭』(清澄庭園)、他に、ママとベビーのヨガサークル、NPO活動としてシニアヨガ、企業での福利厚生など、幅広い年代へヨガをシェアすることをライフワークとしています。

2012年4月、東京を離れ神奈川県の相模湖、藤野エリアへ移住。かねてからの願いだった自然と共存する暮らしにシフトしました。

・07.10月北インド・ウッタルカシでシバナンダヨガのTTCを修了。
・08.10月東京でクリパルヨガ教師養成コース修了。
・Yoga Fitシニアヨガ教師養成講座修了
・トラウマ アプローチ ヨガティーチャートレーニング修了
・クシマクロビオティックアドバンスト修了

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