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ヨガセラピーにて・・・(長いなぁ)

先日参加した『アドバンスヨガセラピー』のセッションにて・・・。

セッションに入るのはとても久しぶりだったから、いったい何が出てくるのやらと、
小さな不安を胸にその時間を迎えました。

最近またしても、過去の記憶に潰されそうな日々を過ごしていて、
その上、日々の疲労は慢性的になり、なんとなく鬱々な気分になることが多かったから。

でもさ、こんなときだからこそ、セラピーから得られるものは多いはず。
そして、そこに何が出てこようが、それは今の私に必要なことなのだ。
そう信じて、自分と向き合ってみました。

今回は2つのアーサナを連続で行い、そのセッショントータルから、
ひとつのインテグレーションに進んで行った。

ひとつ目はセツバンダアーサナ。

骨盤を浮かせて胸を最大に開いていき、肉体的な感覚への気づきが
ある程度終わったあたりから、急に「罪悪感」が湧き上がってきた。

それはカズへの「申し訳なさ」だった。

実はその日の朝、グズってる私に対して、カズは優しく言葉をかけてくれた。

にもかかわらず、イラっとしてた私は、「上からモノ言われてムカツク」という、
私が陥りがちないつもの反応パターンで受け止めてしまい、

「うるさい!アドバイスなんていらない!」とその言葉を振りきって出かけてきたのだった。

そうそう、この「全然わかってくれない!」という心の声は、私の口癖ならぬ心癖・・・。

上から押さえつけられるような感覚を覚え、「うるさい!」のひと言で耳をふさぎ、
暴力的な態度でその場を終え、実際はその問題から逃げてしまう行動パターン。

これは、私の中でも、かなり古い時代に身につけ、身を守ってきた癖なのだ。

そしてこの癖に気づいたとき、愕然としたことをよく覚えている。
この行動は、そっくりそのまま、父親の行動だったから。
嫌悪してる人と同じことをしてる自分に出会ったときのショックは相当なもの。

それ以来、この癖については細心の注意を払って見直してきたものの、
心を許した相手にほど、ヒョイと顔を出してしまう。

セツバンダの中では、ただただカズに申し訳なく、涙がポロポロ溢れてきた。


そしてふたつ目、スプタマツェンドラアーサナ、ねじりのポーズに移行。

床にねっ転がって全身を大きく左右にねじっていくため、
その左右差を感じていくと、そこから得るものがあるセッションだと思う。

ホールドして数分たったあたりから、右の腕全体がビリビリ痺れてきて、
その痛みから「不快感」というか「損してる感」が浮かびあがってきた。

なぜか。その時、左腕は、とってもリラックスして、ラクチンな感覚があったから。

右腕は左腕に対して、「ずるいよ、なんでアタシだけこんなにキツイの?」
「左手さん、あなたラクしてない?」「こんなキツイ目にあってるのアタシだけ?」

自分の内側で、右と左の個性が生まれてきて、会話を始めてるような感覚。
とはいえ、左腕は答えてるわけじゃないんだけど・・・。
右腕が勝手「被害者」になって、ブツブツ言ってる感じ。

そして、リリース・・・。
右腕にもたっぷり血液が流れ込み、痺れが収まり不満も消えた。

次、反対側。

「今度は、左が痺れてくる番だ・・・」
そう私の頭が予想をしていたにもかかわらず、左腕にその痺れは生まれなかった。

その代り、下半身がズンと重たく、抑圧された感覚が生まれてきて、
なんというか自由を奪われてるような・・・

そのとき、右腕が気づいた。

「あぁ、ツライの私だけじゃないんだ。」
「同じ状態じゃないけど、そっちはそっちで、いろいろあるんだね。」


そのとき、「みんな、それぞれ、別々の道を生きてるんだよね」という声が、
私の中から生まれてきた。

その「道」が交差したり、重なったり、すれ違ったり逆行したり。
そうして私たちの「関係性」が生まれてるけど、基本的には、みんな自分の道を
ただひたすら歩いて行くしかないんだ、という声が聞こえてきた。

「はるーた、自分の道をいきなさい」

そう言われてる気がした。

でもね、私は、その道を見失い迷うことがあるだよ。

あるいは、人が歩いてるその道が美しく平坦で、なんて生きやすいんだ、と
羨ましく思っちゃうことがあるんだよ。

これこそ、過去の囚われ。
以前の私はこの「損してる感」と「被害者意識」と「羨望」に囚われて、
自分の生きるべき道を見失っていたんだ。

バカみたいな話だけど、ほんのちょっと前まで(時には今現在も…)本当に、
子供のころに満たされなかったことをずっと引きづって生きてきた。

だけど、人は皆、他人には計り知れないさまざまな葛藤のなか、
自分の道を歩いてる。こんな当たり前のことを、実感を伴って理解し、
腑に落とすことがなかなかできなかった。

今の私は、被害者でもなければ、損してることもないんだ。
人を羨んだところで何も始まらないと、しっかり理解してるのに・・・。

まだまだ昔の癖で、ふとそんなところに落とされることがある。

このセッションで、ハイヤーセルフははっきりと言ってくれた。

「自分の道を行きなさい」

そして、アファメーションを作る作業になり、最初に浮かんだ言葉は、

「私はもう迷わない」

これを肯定的なフレーズになおす作業が必要だったので、

「私は自分の道を知っている。(知ってるからもう迷わない!)」

というアファメーションに変えた。

うん、しっくりくる。素直にそう感じることができた。


毎回毎回、やっぱり同じような所に陥る自分に出会う。
でも、こうしてヨガを続け、日々、自分の心の癖に気づき続ける作業を
地道に続けることでしか本質的な変革は生まれないんだ。

変革の前には、必ず混沌とした場に足を踏み入れる。
でもその混沌、カオスを体験してこそ、次のステップに進むことができるんだ。

はぁ・・・。
セッションから少し時間をおいて、その全体を俯瞰できた気がする。
こうして書き綴ってみると、改めてこの体験が自分を癒してくれたことに気づく。

この日以来、過去の記憶が蘇り苦しみを生むことがなくなった。

今、私が歩いてる道に、過去の記憶は、目の前に現れた邪魔モノでしかない。
私はその存在に対して、毅然と、でも優しく「そこどいて」と言っていいんだよ。
そう思えたとき、記憶に対して距離を置けるようになったんだと思う。

今、体の中で何が起きてるのか、ただそれを見続けることで、
こんなにもたくさんのことが起こってきちゃう。

つくづく「瞑想だな、これは」と思える。

「今、この瞬間」に留まり続けることで、無意識な、反射的な行動・思考のパターン
から脱却できる。そして、自分で生み出した苦しみは消え、次からはその苦しみを
生みだすこともしなくなる。

そこから新しい自分が生まれてくる。この繰り返しだ。
こうしてポジティブなスパイラルの中で生きていたい、と心から思う。

だって、私は幸せになるためにヨガをしてるんだもん。
そして間違いなく、今まで生きてて今が一番幸せだと思えるんだもん!

今に導いてくれたすべてに感謝してる。

どうもありがとう。

Om Shanti.

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一瞬の幅

昨日の代行クラス、無事終わりました。
いらしてくださった皆さん、一緒にヨガができて幸せでした。
どうもありがとう!!!


最近、気づきの瞑想、をキーワードに本を読んでます。

そして、「今この瞬間」に「気づき」ながら行動することを、日常的にも意識しています。
そうすることで、一瞬、という時間の幅が、どんどん広くなっている実感がある。

これはなんとも心地がよい。

次の思考や行動に移るまでの、ほんの一瞬のクッションとなる時間が生まれ、
反射的な反応としての「リアクション」ではなく、明確な意思のもとの「アクション」が
できるようになる。

私は、思考が忙しく、かつ手が早い。

だから、無意識に、どんどん次へ次へと行動が伴ってしまい、
今この瞬間を味わわずに暮らすことが、とても多い。

気づきの瞑想を日常にいかせてくると、なんというか、所作が変わり、
自分が明らかに落ち着いてくるのを感じる。

落ち着いたオトナのオンナ、そんな感じが生まれてくる!
ふん、イイじゃん、それ、って感じ。

そのせいもあり、昨日のクラスでは、一瞬一瞬、ひとコマひとコマを感じながら
アーサナをとることをお伝えしたくて、何度もそのフレーズが口から出ていました。

少し限定しすぎたかな、という反省点も浮かび上がり、修行の道だなぁ、と
つくづく感じました。

でも、普段とはまた違った雰囲気の土曜朝のクラスは、私にとって、とても新しく
刺激的で、学びの多い時間でした。

代行をお引き受けするときは、はい!やります!みたいな気楽さがあるが、
その日が近づいてくると、おしりのあたりがムズムズして落ち着かなくなる。
当日の朝は、相変わらずそわそわしちゃう。

でも、何事も経験さ。
何度も体験を重ねることで、もっとどっしりとした自分に出会えるはず!

そう信じて、1歩ずつ前に進むぞぉ!

「2歩進んで、1歩下がることを受け入れながら、確実に前進するのがいいのよ。」
と、先日知り合いになったインド占星術をよむ方からいただいた言葉。

本当にそうね。


さぁ、今日は代々木公園で朝ヨガ。そのあとナマステインディアへ・・・。
ものすごい人だろうねぇ・・・。
でも久しぶりにお祭り気分楽しんできます!

皆さんもよい週末を。

Om Shantih.

代行

10月26日(土)10:00 クリパルモデレート

1ヵ月間違えました・・・

9月26日(土)でした。

トシさんが、この週末、福岡と大阪でワークショップを行います。
ということで、土曜の朝、また私が代行させていただくことになりました。

どうぞよろしくお願いします。

はる

Om Shantih.

西新井大師

水かけ
*水あらい地蔵

足立に越してきて、はや半年。
ようやく「西新井大師」へご挨拶にいってきました。

西新井大師は、真言宗豊山派(ぶざんは)のお寺です。
日本橋にいたころよくお参りにいった深川不動堂は真言宗智山派(ちざんは)。
同じ真言宗でも流派が違うんですね。

21日は、ちょうど弘法大師のご縁日で、境内はとても賑やか。
event_enniti_pic.jpg
*西新井大師のHPよりお借りしました。

大きなお寺さんなのに、本堂もとてもオープンで
お護摩にも自由に入れました。

その日は特別に本堂の十一面観音像が御開帳ということで、
どんなお姿かと思いドキドキ。

しかし、おごそかに上がった幕の後ろには、薄い幕がもう1枚。
そうか・・・御開帳といっても、もう1枚あるのが日本の風情か・・・。
などと思いながら、不動明王の力強い真言よりも、優しい感じの真言に
耳を傾け、燃える炎を見ていたら、胸の真ん中がスーと広がっていきました。


そして、境内を出て参道をお散歩。
名物の草もちを試食しつつ、足が止まったのがこちらのお豆専門店!

豆や

マメ、豆、まめ!!店内には40種類以上ものお豆があるそうで、
そのどれもが試食OK。
黒豆茶のサービスに、お代わりください、と言っちゃうほど、
ポリポリつまみ食いしてたら、すっかり満腹です。

地元の神様とつながれて、ひと安心。

深川不動と西新井大師、大切にお参りしていきます。

Om Shantih.


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■豊山派&智山派まめ知識■

もともと、真言密教は7世紀ごろインドでうまれ、それをかの弘法大師が
日本に伝えたもの。

その弘法大師が入定されてから300年後の1100年ごろ、
真言宗、中興の祖といわれる興教大師(こうぎょうだいし)が弘法大師の教えを学び、
高野山に上り、高野山金剛峯寺は活気を取り戻したそうです。

しかし、この興教大師の改革に反乱をおこす僧侶もいたらしく、最後は和歌山の
根来山にうつり、そこで亡くなります。

時代は戦国。その動乱から、この根来からも去る僧侶が増え、そのうちのひとり、
専誉僧正(せんよそうじょう)というかたが、奈良に戻り豊山派(ぶざんは)を興した、
という歴史のようです。

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シェアリングというエッジ

連休前の土日、ディープなワークショップ2連ちゃんでした。

まずは、土曜日、待望の『アドバンスヨガセラピー』。
そして、日曜日、心理学専攻ヨガティーチャーKenの『関係性への気づき』。

私の真ん中に、ズドンときました・・・。

細かな内容も振り返りたいけど、
まずは今直面してる自分のエッジについて。

私は「シェアリング」が苦手だ。
なにが苦手かというと・・・

全体シェアの時、なかなか手が上がらないあの時間、
誰もシェアしないあの沈黙が耐えられず、
「あ・・・シェアしなきゃ、この場をどうにかしなきゃ」と
全然必要のない責任感を感じ、つい手を上げてしまう。

そしていざしゃべりはじめたら、何が言いたかったのか、
いまいち焦点が定まらず、なんとなく表面的なことを言うだけでおしまい。

そして、本当のエッジはそこから始まる。

あんなつまんないシェアリングをしてしまった私、恥ずかしい、
みんなはどう思ったんだろう?
っていうか、本当に言いたいこと、全然言えてなかったし・・・。
もっと前向きな気づきがあっただろうに・・・。

などなど。

そんな自分を非難する声に、数日悩まされるのです。

小さい・・・。

知ってるよ、そんな自分の小ささは。

「もう二度とシェアはしない。絶対に手をあげない。
シェアリングの時間はずっと下を向いてよう。」

なんて思ったりもするくらい。

でもクリパルを続けるからには、このシェアリングのエッジと
向き合っていかなくちゃ、とも思う。

そして、以前トシさんから聞いたこんな言葉を思い出す。

「僕もシェアが嫌いだった。
でも自分の体験を語らないということは、みんなから学びの機会を
奪うことになるんだ、と気づいた時からシェアできるようになった。」

なるほど・・・。

私もそう思えるようになりたいなぁ。

自分の体験を言葉にするのは難しい。
心の中の葛藤や混乱、そしてその混乱状態から抜け出てきたプロセスを
人に伝えることは、本当に難しい。

心の中で起きる葛藤は、だいたいが、長年付き合ってる心の癖が呼び
起こしてるもので、それと適度な距離を保てないとき、私の心は混乱する。

そうなると、私の心はその「悪癖」にしがみついてしまい、
なかなか自由になれない。

私がその混乱から自由になれるまでには、少し時間が必要なのだ。

混乱した、そのありのままの状態をもヨシとしてあげて、
それをシェアすることに意味を見いだせれば、私も少しは楽になるのか。
そこから自由になれるのかな、なんて思ったりもする。

いや、なんにせよ、ワークショップに参加しシェアリングをした後は、
決まってこのエッジの中に閉じこもってしまう私がいる。

そんな私の手元に、先日amazonで購入した瞑想の本が届いた。
その本の帯に書かれていたフレーズが、私の心をほぐしてくれた。


 わたしは安らかで幸福でありますように
 わたしは怒りや憎しみを手放すことができますように
 わたしは自分を裁く心や自己嫌悪から解放されますように
 わたしは喜びに満たされますように
 すべての生き物たちは喜びに満たされますように
 その喜びを共に喜び分かち合えますように

                -「気づきの瞑想」を生きる-
                     プラユキ・ナラテボー

そうなんだ、すべては自分の心が決めること。
しがみつくも、手放すも、私の心が決めることなんだ。


Om Shantih.


前進する勇気

今日は、「あーそうだ」と思うことがありました。

私が心から尊敬し慕うヨガティーチャーの大先輩Sちゃん。
20年の教師歴をもつ大先輩ながら、大親友でもあります。

今日は、そんな彼女と半年ぶりに会うことができ、短い時間だったけど、
お茶しながらお互いの近況報告、楽しいおしゃべりをしてきました

そして、彼女の話を聞きながら、いまの私がまだ持ててないあることに、
はっきりと気づかされました。

それは、「勇気」。

彼女のもとに通い続ける生徒の方で、いまだヘッドスタンドで足を上に
あげない方がいるそうです。

そう「あげない」のです。

肘、腕の力もつき、腰も十分に伸び、そして上半身をしっかりと支える土台は
できているにもかかわらず、足をあげる「勇気」がないだけなのです。

彼女は、丁寧にアシストし、励ましながら勇気づける言葉がけをし、
いつの日か、その方の内側から勇気が生まれ足を伸ばしてくれる日を
じっと待っている、と言っていました。

その方は言うそうです。

「他の先生は、すぐに"無理しないでいい"と言うけど、S先生は
大丈夫、できるから。自分を信じてやってみなさい。と言ってくれる。
だからS先生のクラスが好きなんです。」と。

すごく響きました。

実は私自身も、生まれて初めてヘッドスタンドができたのは彼女のクラスだったから。

彼女のリードに勇気づけられ、恐る恐る足を上げていったときのことが、
すごく鮮明に思い出された。

あのときの感動!!!

だって子供のころから逆立ちなんてできたことがなかったのに、
まさか30を過ぎてから、こんなことができるようになるなんて!!!


そして思ったのです。

私は、ヨガからいろんなものをもらってきた。

心安らぐ瞬間であり、自他を認め許す心であり、大らかさや寛容さであり。
でも、そうだ、私はヨガから、自分の可能性を広げる勇気をた~くさんもらった、と。

そして、いま私は、教師としてクラスの中にいるとき、「勇気」というメッセージを、
ほとんど意識せずにリードしてる。
だから、時に生徒の皆さんは、自分の可能性を過小評価し、今日はここまで、と
制限してしまってるのではないかと・・・。

私は、「前進する勇気」を感じてもらう「勇気」がないことに気づいたのです。

これは、私にとって、とっても大きな気づきです。
本当に、目からウロコがボロボロ落ちました。

彼女の愛情深いその視線が、生徒に注がれてる風景が目に浮かびました。

安心して自分の体験を深めていける安全な場をつくること。
これはクリパルティーチャーにとって、もっとも大切なことのひとつ。

その安全な場で、自分の可能性を広げていくこと。
未知の世界へ足を踏み入れる瞬間だもの、とても勇気のいることです。

私たち教師は、生徒のみんなをそこに押し出すのではなく、
みんなの内側にその勇気が芽生えるよう、ゆっくりと丁寧に、愛情をもって
見守っていくことが大切なんじゃないか。

自分の体験として知っていたことが、今日、教師として改めて腑に落ちました。

リラックスして気持ちがよかった、という要素はもちろん大切だけど、
力強い自分への自信を感じてもらえる、そんなクラスがリードできる教師になっていきたい。

「前進する勇気」を持ち続けよう!
歩みはゆっくりでいいからね

Om Shantih.

日々成長

枝豆の赤ちゃん

一時はダニーにやられて瀕死の状態までいきましたが。
カズの愛情で持ち直してきました!

そしてついに、産毛に包まれた枝豆の赤ちゃん誕生。


この大豆の守り神、のみさんに、ハダニの被害が・・・と相談したところ、
自然農に徹してる彼らしいアドバイスをいただいたので、ここでご紹介。

「植物に虫がつくのは 糖尿病の時に、いたるところで細菌感染が起こるのと
よく似ています。 豆や芋は肥料をほとんど必要としないので肥料や水分が
過剰だったのかもね。 野菜も食生活が変わると元気になるよ!」

なるほど・・・とカズと納得し、それ以来、水あげにも十分注意して、
少し乾燥ぎみな感じにしてます。

確かに、豆って、南米とかの乾いた土地に育つものだもんね。

その子の個性を知り、それを尊重し持つ力を発揮させてあげること、
私はそんな感覚をクリパルヨガからいつも学んでる。
そして私たち人間も、すべての動植物も、その状態は取り入れたもの
すべてに影響を受けてるということ。

農とヨガ、そしてマクロビオティック、
こんなところで、つながってくる。

Om Shantih.


アルケミスト

先週図書館で、前々から一度読みたい、というか、読まなきゃ、と
思ってた本 『アルケミスト』 に出会えた。

この本は、2年以上前かなぁ、まきこさんのシバナンダクラスで練習してるころ、
勧めてもらってずっと興味を持ってたんだ。

なぜなら、あの山川ご夫婦の翻訳で、(聖なる予言など、日本でスピリチュアル系の
本の翻訳といえば、彼ら!って感じ)きっと響く内容なんだろう、と思ってた。

で、読んでみて、やっぱりすばらしかった!

「はぁ、これはヨガだ」と・・・

そして、おとといの金曜の朝、出かける支度をしながら、

「今日のクラスでこの一文を紹介しよう」と思った瞬間、
・・・・あれ?今日、まきこさんがクラスに来るな・・・・
という根拠のない、でも意外にしっかりした予感が湧き上がった。

そして、いつも通りスタジオに到着して、パソコンを立ち上げてメールをチェックしたら、
「マキです!今スタジオに向かってます、今朝シバナンダ出させて下さい!」って。

あはっ!当・た・り!

そして、『アルケミスト』から、「過去でもなく未来でもなく、今に生きる」という
メッセージが込められた文を紹介して、クラスに入っていった。


さて、その後が、また驚きのシンクロ!

まきこさんのクラスに参加したTさん。

彼は、先週アメリカのクリパルセンターでYTTを修了して帰国したばかり。
彼はシバナンダヨギとしても、アシュラムでアドバンストトレーニングまで修了し、
きちんとヨガと向き合ってる方。私も大好きな方です。

その彼が、本当に唐突に・・・

「ねぇはるさん、アルケミストって知ってる?」って。

「へ!?

私は驚きを隠せず、でも、あぁこんなことがあるんだね、と思いつつ、
カバンからゴソゴソと、その本を取り出して、彼に見せた。

「これ?」

すると彼も、おおっ!と驚きつつ、カバンをゴソゴソ。

「俺も持ってたりして・・・」。

彼の手には、『The Alchemist』のペーパーバックが・・・。
NYの空港で見つけたんだってさ。

なんだか、ふたりで大盛り上がりでした。

でもね、こういうシンクロって、とても自然な気がします。

同じヨガの道を志し、同じところに感銘を受けたり、光を見出してるからこそ、
きっと、ほぼ同じタイミングで、彼はNYで、私は足立区図書館で、
同じ本に出会ったりするんでしょうね。

いやいや、おもしろいアルケミストつながりな1日でした。

ところで、アルケミストとは、錬金術師、という意味です。
どんな物質であれそれを金に換える技を身につけた人のことを言うんですが、
私はいままで、錬金術というものの概念が、ピンとこなかったけど、
この本を読んで、なるほど、と腑に落ちました。

『アルケミスト―夢と旅した少年―』

とても読みやすく、とても夢のある、とても心に沁みる内容でした。
ラストのほうなんて、電車の中なのに思わず涙が流れちゃったアタシです。

Om Shantih.

ピルかぁ

昨日、5年ぶりくらいに婦人科に行ってきました。

前回行ったのは32歳のころ。

ココロもカラダもよれよれなころ、あまりに調子が悪く、
重い腰あげて行ったはいいけど、

「ピル飲んで様子みてください。」

のひとことで診察終了。
なんだかしっくりこず、そのまま通院もやめて結局ピルも飲まず。

そのあたりから、漢方を飲んでみたり、東洋医学やアーユルヴェーダを学んだり、
そして、その延長線にマクロビオティックがつながってきたわけで、
まぁ、結果的にOKって感じですが・・・。

でもね、マクロビオティックを学んだおかげで、西洋医学への無意識な拒絶反応、というか、
医者なんかに頼らずに生きてくわよ、みたいな思いが、心の中に芽生えてたのも事実。

でも、今年の春くらいから、

「この数年、東洋医学だけで体を整えてきて、全体のバランスはだいぶとれてきた感じが
するから、そろそろ医者に行って検査でもしてもらおうかなぁ」

なんて思いが湧き上がってきてたの。

とはいいつつ腰は相変わらず重く・・・
またピンとくる婦人科もなかなかないのが事実。

ところが、先日「東洋医学と西洋医学を融合した診察」をウリにしてる病院を発見。
これだ、と思って、昨日行ってみたのです。

ところが。

まぁ、人気のある病院は仕方のないことでしょうが。
30分単位でひっきりなしに予約が入っていて、初診はその合間に診察が入る。

待合室で1時間40分待ったころ、ようやく呼ばれて中へ。

女医さんは比較的感じのいい方でしたが、なんせ忙しいのでしょう。

問診もかなり一方的な感じ。

私がひと呼吸調えて考えて答えようとしてると、もう次の質問を浴びせてきて、
結局本当につらいと感じてる症状まで伝えることもできずに、

「じゃ、お小水とってきてください。その後、採血して、エコーで見ますから。
じゃ、一度外で待ってて、また呼びます。」

と、また待合室へ。

それからは、尿取ったらまた外へ。
血ぃ取ったらまた外へ。
エコーで内診したらまた外へ~。

はぁ、すでに2時間半もの時間が・・・。

つっか、いまPMS一番キツイ時期なんですけど。
ツライ・・・。
この一番ツライときに診てもらった方がいいだろう、と思ってがんばって来たのに、
来なきゃよかったぁ、とかなり凹んできた。

そして、いよいよ最後の診断。

「卵巣が腫れて形がいびつ。正常に機能してませんね。
PMSがツライならピルがオススメです。今は飲まず嫌いでしょ?
とりあえず1シート飲んでみて、それからまた様子みましょう。」

「え・・・・?」
(5年前と同じじゃん。さっきあなたにもその話して、あなたも
「一方的に言われたらイヤよね」って言ったばっかりジャン)

そしてまくしたてるように説明を始めて、最後には、
「詳細は看護婦が説明するから納得されてからお飲み下さい」で終了。

唯一、頑張って質問したことは、
「あの、ピル飲み始めたら、いつやめるんですか?」

そしたら、
「子供が欲しくなったらやめてください。」と言い放った。

「え・・・?あのぉ。その予定ないんですけど・・・。」

すると、先生、失笑しながら、
「一生?なんでそんなこと決めるの?わかんないじゃない。
あ~ぁ、まぁご本人のお考えですから、いいですけどね。
じゃ、次回は来月頭に予約入れてください。」

撃沈。

なんだか頭のなか、混乱状態。
押し切られたように、診察代、ピル代で1万円を払って、
ピル1シートバックに入れて、トボトボと駅へ向かった。

なんだか、涙がこみ上げてきた。

なんなんだ、コレ。

だから医者なんか嫌いなんだ。大キライ!!!!

雑踏の中、グズグズ泣きながら歩いてた。

でも、電車に乗るころになったら、ふと、
「私は医者に何を期待してたんだろう」と思った。

「人生相談でもなけりゃ、優しい言葉をかけてもらうことでもない。」

ただ、「東洋医学と西洋医学を融合した診察」ということで、
親身になって話を聞いてくれたり、心の中の葛藤までケアしてくれたり、
そんな診察を期待しちゃってたんだ。

ふぅ、期待があるから失望があるんだ。

これ、シバナンダジの教え。

余計な欲や期待は持つまい。
期待をするから、失望が生まれる。

ただ、決して「余計な期待」ではなかったと思うけど。
でも、そう思ったら、少しだけ悲しみから解放された。

最後に言い放った彼女のひと言、人目も気にせずはぁぁっぁぁと息を吐いて、
その呼吸とともに車内に吐きだした!ふん

最終的には自分の判断で、ピルを飲むかどうか決めればいいんだし。

さぁ、ピルを飲むか飲むまいか。
正しい知識がないからこそ飲むことに不安がある。
これを機会にもっと勉強してみよう、と思った。

ピルはあくまでも対処療法。
弱った卵巣がホルモンをバランスよく出せないから、
ピルでホルモンを投与して卵巣には仕事をさせないようにする。

卵巣を休ませる、と先生は言ってたけど、
それは治療を意味するものではないんじゃないか。
やっぱり、飲み始めたら、飲み続けなくちゃいけないんじゃないか・・・。

女性には、誰にでもそしていつでも起こりうることだし、
でも私は、医者に言われたからって、やみくもに飲むってのはできない。

少し調べてみようと思います。この経験、そして身につけた知識、
ヨガでつながったみんなとシェアできる日がくるんじゃないか、と思う。


Om Shantih.



悲しい現実

最近、とても気になってることがある。

我が家の周りには、小さな子供をもつ家族がとても多い。

このあたりの子供たちは、とても"子供らしく"暮らしてて、
いつも外で走り回って遊んでる子が多いんだ。
真っ黒に日焼けした、枝のような手足の男の子たちが走り回ってる姿は
見ていてなんだかほっとする。

そして、反対に、とても気になる残念な光景を目にすることも多い。

それは、ヒステリックに怒りを表してるお母さんたちの姿・・・。

見ていて胸が詰まります。

わが子に対して
「うるせーよ」 「遅いよ」 「はやくしろよ!」
「ウザイんだよ」 「いい加減にしなよ」

うーん。

お母さんの気持ちも、わかる。
毎日のことだから、お母さんもツライんだと思う。

でも、でもね、そんな言葉をいつも投げかけられて育つ子供たちは、
自分の存在をどう捉えてしまうんだろう・・・。

そして、私が一番気になってるのは、同じマンションに住むお母さんと
4歳くらいの男の子。

その声は、男の子の泣き声とともに毎朝聞こえてくる。

「もう!いい加減にしてよ、うるさい!早くして、ほら帽子かぶって、
早く靴はけよ、もう置いてくよ、まったく何しても遅いんだから、最低!」

そして、男の子は泣きながら靴を半分引きずるようにして
お母さんの後を追いかけながら幼稚園に向かう。


お母さん。

彼はまだとても小さく、とても弱く、
守ってあげなきゃいけない存在なんじゃないのかな?

なぜそんなに急かすんだろう。
なぜそんなに彼の行動を責め立てるんだろう。

日中や夜も、時々、激しい鳴き声が聞こえてくる。
そこに、暴力があるのだろうか?
言葉だけで責められてるのだろうか?

胸が痛いです。


私は、子供のころ、よく父から暴力をふるわれました。
アル中でギャンブル依存の父は、いつもいつも酔っ払っては私を殴ってました。
私は彼が怖くて怖くて、いつも彼の顔色を見て、機嫌を損ねないよう気をつかって
生活してました。
母はそれに怯えるように、そして問題の本質からいつも目をそむけるように
無関心を装い、苦しみから逃げるように暮らしてました。

その無関心さは私へも向けられ、愛情深くかまってもらった記憶が
あまりないのです。

それは、子供である私の愛されるべき存在である、という自信を
奪っていったと思うのです。
そして、自己評価がすごく低くなったように思います。

毎日毎日、幼児虐待のニュースが溢れてます。
そして、大事件にならずとも、とても身近なところにその現実が起きてるという
実感が私にはあります。


たまに、思うのです。

もしあのお母さんがヨガをしたら、気持ちが安らぐ瞬間に出会え、
自分の子供への接し方を少し客観的に観ることができるようになるのかしら、と。

そして、きっとお母さん自身が抱えている心の問題。
そこに向かっていく強さを、自分の内側に見つけることができるだろうか、と。

幼児虐待には、連鎖があります。

自身が幼少期に受けた虐待を、そのまま子供にしてしまう、というケースが
とても多いというのは定説になってます。

例えば、うちの父は幼少期ひどい虐待の中で育っていました。
受けたことのない愛を与えることはできないのかもしれません。
悲しい連鎖です。

私はその連鎖が怖く、子供を産む勇気が持てない時期が長くあります。

実際、いまも子供はいないので、なんとも言えないこともあります。

でも、どうか縁あって自分の子宮に命を宿し生まれてきた我が子を
愛してほしいのです。

とても悲しい現実。

何かできることはあるのだろうか、と、思ってしまう。

みなが幸せでありますように。

Om Shantih.

時計を外すと

先日から、このネタ続いてますが・・・

昨日、仕事から帰ってきたカズのひとこと。

「時計しないって超ラク~だなぁ」

あはは、やっぱり。

カズも頑固な肩コリで、鉄板埋め込んでますか?って感じの肩から背中。
時計を外して腕の軽さを実感したらしい!

「でもちょっと不便だな・・・ハラ時計の精度をあげよう!」

と前向きなコメント。

時間に正確なお仕事をされてる方は、時計を外すことに抵抗があるかもしれないけど、
オフィスや町中など、意外と目に留まるところに時計ってあるものだしね。
あと、いまは誰でも携帯持ってるし、全然大丈夫です。

ということで、カズの時計なし生活、はじまったようです。

ぜひお試しを

Om Shantih.

受け入れる

先週はストレスに負けて過食しました。

でも、もう嘔吐はしないと心に決め、食べてしまった罪悪感と後悔を、
まっ正面から受け止める努力をしてました。

今までの人生で、私は、本当に起きてることから目をそむけるように、
お酒を浴びるほど飲んでごまかしたり、コントロール不能なほど食べたり、
指からタバコが離れることなく吸い続けたり。
借金ばかりがかさんでいくのに、止めどなく買い物を繰り返したり。

そんなことばかりしてきたように思います。

そして自分がやってしまった行為すら帳消しにするように、
それを吐き出してチャラにしようとしてたんだ。

チャラになるわけないのにね・・・

ヨガに出会って、少しずつだけど、そうした逃げ道を自分で塞いできた。
もう必要のないものだから、と、きちんと終えることができた。

そして、今、残されてる課題、最後の難関。
「食べる」という行為と、まだうまく付き合えてない。

私は大の料理好きだし、食べることが大好き。
マクロビオティックを学んできたし、玄米菜食の生活にも満足してる。
食への感謝の気持ちや、命の大切さだって感じてる・・・。

なのに・・・

やってしまう過食。

今回、吐かない、と決めたこと。
食べてしまったことを受け入れることは、
自分の行為に責任を持つということ。

太っても、むくんでも、仕方ない。

これは必ず強さにつながるし、改善に向かうプロセスだと信じてる。

罪悪感、後悔、体の痛み、気分の悪さ、そして心の凹み。

その居心地の悪さを全部そのまま受け止める。
そして、善し悪しの判断をしない。
食べてしまったものはもう仕方ない。
過去の出来事として、きちんと受け入れる。

そして、いまできること、いま大切なことは何かをよーく感じてみる。

いまは、ゆっくり横になって消化していくプロセスを感じて、
それを受け入れてみる。

体に負担をかけてしまったことを、体に丁寧に詫びながら、
次からは気をつけるからね、と優しく接してみる。

そして頭をカラッポにして、ゆっくりと寝る。
また必ず朝がやってくるから。

食べるという行為を選んでしまう瞬間に、本当は何が起きてるのか、
それを感じる余裕ができるといいな、と思う。

やはり、「今、何が起きてますか?」なのだ。

こんなことを繰り返してる私だけど、ヨガを一生かけてやってく思いと、
ヨガティーチャーとしての覚悟は、ガッチリ決まってます。

どんなコンディションでも、クラスの曜日は巡ってくる。
だから私は、取り繕わず、そのままの状態でクラスに入るようにしてる。

体調が悪いなら悪いなりに、無理してテンションあげてってもいいことないし。
だから、90分間「低空飛行」な感じになっちゃうときもあるけど、
いまの私にはそれしかできないの、と、ある意味割り切って。

そして、本当にありがたいことに、クラスが終わると心のモヤモヤが晴れて、
元気になってたりする。生徒さんから、エネルギーをいただいちゃってるって感じ。
逆に、みなさんに心配かけちゃうこともあって申し訳なく思いつつ・・・。

少しずつだけど、できるだけ安定したコンディションで生活できるように
いろんなことを受け入れながら、意識的に過ごしていこう。

Om Shantih.

自然治癒力アップ

ソトコト10月号
『自然治癒力を高める方法20』の中で、
フェニックス・ライジング・ヨガセラピーが紹介されました!

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ソトコト.netはこちらから

私は「自然治癒力アップで健康です!」ということで、
誌面の隅っこでアーサナしてます

1枚は、立派なおしりをドンと大地に安定させて、
なんだか、埴輪のようなフォルムです

2枚目は、トシさんにサポートしてもらいながら、
ウシュトラアーサナ(らくだのポーズ)で、エッジに入り込んでる様子

ヨガセラピーは、パートナーワークです。
プラクティショナーといわれるサポート役のひと、
そしてアーサナをとるクライアント。

プラクティショナーは、さまざまな方法でクライアントをサポートしながら、
クライアントは10分から15分、アーサナをホールドします。

その間、クライアントは、できるだけリラックスして自分の内側に意識をとどめ、
体の中で起きてることにフォーカスしていきます。

やってみるとわかるけど、最初はね、イイんですよ。

体もサポートしてもらってる安心感から、いつも以上に開かれたり、
伸びたりして気持ちがいいところに意識がいきます。

でも、ホールドが長くなってくると、しびれや痛みが強くなってきて、
その感覚に意識が奪われていきます。
すると、無意識に緊張が走り、呼吸がこわばってくることも。

すると、プラクティショナーは、こう聞いてきます。

「今、何が起きてますか?」


「へ?何が起きてるって・・・」
痛いし、苦しいし、なんだか、イヤな記憶が湧き上がってきたし・・・

とか、思いがけないこと、自分の奥底にしまいこんでたものたちが、
ふっと顔を出してくることがあるのです。

もちろん反対に、開かれた体の中に自信が湧いてきたり、
希望が見えてきたり、それもまた自分の奥底で眠っていた隠れた
存在が、現われてきてる瞬間でもあります。

そう、ヨガセラピーの中では、いろんなことが起こるのです。

そのことに「気づき」を持つことで、私たちが本来持っている
「内なる答え」に近付いていくことができます。

私にとって、ヨガセラピーは、クリパルヨガとの出会いでもあるし、
そのインパクトが強烈だったのでとても大切な存在です。

日常の中でも、マインドが忙しく、心がグチャッグチャになったとき、

「今、何が起きてるんだ?」と自問します。

すると、イライラしたり悲しんでる本当の理由が浮かびあがってきて、
「あーなんだ、もう少し認めてもらえれば、私は安心するんだ」とか
自分の本当の気持ちがわかってきます。

すると、根拠のない不安感や、訳のわからないイライラから
解放されていくのです。

ということで、興味があったらぜひ受けてみてもらいたい・・・。
トシさんは、日本で唯一の公認プラクティショナーなんですよ。

以前はね、個人セッションも行ってたらしいのですが・・・
今は多忙のためやってません。
私も2年ほど前の誕生日に、勇気を振り絞って「個人セッションやってぇ!」と
お願いしてみましたが、あっさりと断られました。あはっ

今回のソトコトでは、他にもたくさんのメソッドが紹介されてて、
自然治癒力高めたい系の私には、興味深いものばかりでした。

ぜひ書店で手に取ってみてください!

Om Shantih.

ようやく・・・

干し3

干せましたぁ!

生まれて初めての梅干し作り。
今のところ、ものすごく順調でうれしいかぎり。
カビもつかなかったし、あとは数日いいお天気が続けば、
美味しい梅干しになってくれるでしょう。

ホントに、キレイな色に染めあがり、
はぁ~、梅のいい香りです。

赤紫蘇はこのまま乾燥させて、ゆかりにしてみようかなぁ。
大好きなゆかりも手作りできるなんて!うれしいです。

干し4
2kgの梅が、この盆ざる1枚分。

Om Shantih.

続・へそぴ 腕時計をはずすこと

「ヘソピを外したら気が流れた」って話を鍼の先生にしたところ、
それはもっともな話だと、納得されました。

あと、意外に影響を受けてるのは、腕時計や指輪、ネックレスなど。

身につける金属は、体から熱を奪うことと、
あと気の流れをブロックすることがあるみたいですよ~。

左肩がすごくコルという場合、左腕の腕時計を外してみると、
意外にラクになったりするらしいし・・・。

ちょっとしたことで、体ってラクになるのかもね。

確かに私も、インドから帰ってきて、腕時計をつけるのがすごくイヤになり、
それ以来、時計も指輪もつけなくなりました。

それが功を奏したのかどうか?
意識してなかったからわからないけど、以前のような吐き気を伴うような
肩こりからは、解放されてます。

以前の私にとって、腕時計とは絶対必要なもの、忘れたら1日不安でしょうがない。
そしてもちろん、アクセサリーとしても大きな存在でした。

でも、やめてみるとこれがチョー快適なんだなぁ。

なんと言っても腕は軽くなるし、
時計へのこだわりもなくなるから、心がとてもラクになった。

ブランドモノの時計=ステイタス という意識が強かったから、
カルティエやエルメスの時計にこだわってた時期もあるし。

ケースに何列もズラリと並んだ腕時計に満足感覚えたりして。

そんな心から解放されると、物欲からも解放され、
さらに、時間に拘束されてる感が減ってとても自由になった。
そんな心の在り方も、肩コリ解消につながってるのかもね。

いずれにせよ、頑固な肩コリに悩まされてる方、
ちょっとの間、1、2週間、お試しで腕時計を外してみてはいかがでしょうか。

なにか変化があらわれたら、いいんじゃない

Om Shantih,

へそぴ

昨日は、ひさしぶりに過食スイッチがオンになってしまいました。

この数日、気分が悪い、というより、機嫌が悪いアタシ
満月も近いし、気をつけなきゃ、と思いつつ、
いつものように、仕事の忙しさからの逃避を図ろうとしたアタシです。

で、夜、布団にもぐり込み、後悔と反省と体の痛みにのた打ってたとき、
ふと今まで気にもしてなかったことに、気づいた!

とにかく、心身を落ち着かせよう、と、ふとんの中で大の字になって
ボディスキャンしながら呼吸を調えてた。

すると、おなかの真ん中で、プラーナの流れを押しとどめる、
すごく強いブロックを感じて。
まぁ、普段からあまり流れてない感じはあったんだけど、
「詰まりやすいよなぁ、ココ」みたいな感じはいつもあった。

おへそのあたりがジンジンしてきて、強烈な違和感。

ん? と思い手を伸ばして、
おへそに入れてるピアスを触ってみた。

そのとき、はっ!と気づいて、ピアスを外してみたら・・・。

あーーーー!

流れる~!

呼吸が、プラーナが、いっつも滞って詰まった感じがあった、
おなかの中心線が、ふあ~と開いたのです!

そしたら、いつも以上に呼吸が入ってきて、脇腹から腰、
太ももの付け根のあたりまで、詰まってキュっと硬くなってたところが、
開かれてスペースが広がったみたい。

まじ?ヘソピがブロックだったんだ・・・。
思いもしなかった。

私は、以前、耳に5個ピアスホールをあけてたけど、いまは2個だけにしてる。

以前は全然平気だったのに、2つ以上のピアスをつけると、決まって耳が赤く腫れ、
膿んでしまい、そのことで、気分が悪くなるようになり、穴をふさいでしまった。

そして、昨日、ついにヘソピもお別れ。

ボディピアスが、プラーナの流れを妨げてるなんて・・・。
私の体感では、はっきりと変化があったし、
いままでより、ずっとスムースに流れてる感じがある!

思いがけないこと、体のこと、意外と気づけてないこと、
まだまだたくさんありそう。


Om Shantih.

プロフィール

はる

Author:はる
はるです。Sita(シータ)はアシュラムでいただいたスピリチュアルネーム。とても気に入ってます♪

ヨガを通して、ありのままの素の自分に出会える喜びを感じています。
現在、下北沢にあるクリパルジャパン-Yoga of Life-、Yoga Kutir『涼亭』(清澄庭園)、他に、ママとベビーのヨガサークル、NPO活動としてシニアヨガ、企業での福利厚生など、幅広い年代へヨガをシェアすることをライフワークとしています。

2012年4月、東京を離れ神奈川県の相模湖、藤野エリアへ移住。かねてからの願いだった自然と共存する暮らしにシフトしました。

・07.10月北インド・ウッタルカシでシバナンダヨガのTTCを修了。
・08.10月東京でクリパルヨガ教師養成コース修了。
・Yoga Fitシニアヨガ教師養成講座修了
・トラウマ アプローチ ヨガティーチャートレーニング修了
・クシマクロビオティックアドバンスト修了

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